楽しい時間に終わりがあることを知って切なくなるのは大人への一歩?

 

楽しい時間って過ぎるのがあっという間ですよね。

そして、辛い時間苦しい時間っていつまでも時が流れない感覚、

あれはなんなのでしょうね?

 

始まりがあれば全て終わりがあるということは知っているのに

楽しい時とそうでない時の時間のすぎ具合が違うんですよね。

楽しい時間に終わりがあることを知って切なくなるのは大人への一歩?

「あと何日かしたらじーじとばーばと会えなくなるんだ・・・」

これは夏休みに実家に帰省していた時の話。

まだ滞在して2日くらいしか経ってないときの夜。

布団に入って寝る準備をしていたら、

娘っこが神妙な面持ちで

「今は◯日だよね?で、帰る日が◯日だよね?

ということは、あと何日かしたら

じーじとばーばに会えなくなるんだよね・・・」と

急に泣き顔になってぐすんぐすんと泣き出した。

これが、明日もう帰る日だってならまだわかるが

まだまだ滞在期間があるのに

もう悲しくなってしまった様子。

今この時間を楽しめばいいのにな、と思いつつ

今だけでなくこの先のことも考えることができるようになったのかと

成長を感じたりもする。

 

「楽しい時間」よりもそれに向かっている時期が楽しかったりする

この年になってからか

最近になって気づいたのか、

「楽しい時間」そのものよりも

その時間になるまでの過程だったり準備だったりの

時間を楽しんでる自分がいるなと感じる。

例えば、温泉に行くと決めたら

その日になるまで、

「どんな感じで過ごそうかな」

「どんな準備が必要かな」

ということを想像してウキウキしている自分がいる。

もちろん「楽しい時間」当日も楽しんではいるのだが

それに匹敵するくらい準備期間をウキウキ過ごしているかもしれない。

 

なんで準備期間までウキウキ過ごすようになったのか?

もしかしたら、楽しい時間だけだと終わる切なさを受け止めきれないからなのかも。

温泉旅行だとしたら、一泊二日で行くことが多いのだが

その二日間にだけ集中して楽しい時間がやってくると

楽しいメーターが一気に上昇して、

日常に戻る時の急な下降に耐えられなくなるんじゃないのか?

それを防ぐために、

準備期間から自分をウキウキさせて楽しいメーターを徐々に上げていくことで

下がる時も徐々に下がるように調整をかけているのではないか。

楽しい時間が終わることが切ないことを知ったからこその

行動なのかもしれない。

 

美味しいものを食べ終わってしまった時の

切なさはいつまで経っても変わらないです。

昔っから食いしん坊だからこう感じるだけなのかな?

 

 

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