女子寮物語①これは、廃墟ですか?

 

ふとした時に、あの頃のみんなは元気なのかな〜、

あんな事があったな〜、と懐かしく思う事があります。

 

 

これは、私が「女子寮」という場所で生活していた時のお話です。

 

 

私は女子寮に住んでいたことがありました

 

私は、4年間、大学の女子寮に住んでいました。

 

大変だったな〜っと思うこともありますが、

楽しかったと思えることの方が圧倒的に多いです。

あの女子寮で暮らしていたことは私の誇りです。

 

そんな女子寮を最初に見たときは衝撃的でしたが・・・

 

そもそも何故女子寮へ?

 

大学へ進学となると、

実家から通う人もいたり、遠方の場合は一人暮らしを始める人も多いと思います。

 

私は、大学が遠方だったため実家から通うことはできませんでした。

そこで、住む場所どうする問題が出てきます。

 

実は、当時母子家庭だった私。

親が離婚して、2年ほど経っている状態でした。

生活は、裕福とはいかず、細々と生活している状態。

(離婚前の方がカツカツでしんどかったようですが;)

 

大学進学は、奨学金をもらったりでなんとかなりそうでしたが、

一人暮らしをするにあたっての資金は当然ありません。

 

そうなると他の選択肢を探す必要があるのですが、

私の通う大学には寮がありました。

 

そして、寄宿料が破格だったのです。

なんと月790円。(記憶が曖昧ですが、これくらいでした)

そして、光熱費が月6900円。(こちらも大体このくらいでした)

寄宿料より光熱費が高いという謎の現象。

 

大学のパンフレットにその寮についてのプリントもありました。

それによると、7畳くらいの部屋で2人部屋。

ベッドと棚と机とクローゼットがついています。

食事サービスのようなものはなく、各自で共同のキッチンで用意するとのこと。

 

もともと1人でいることが好きだった私。

2人部屋というのは、少しひっかかりました。

その他の不安ももちろんありましたが、我が家の経済状況でしのごの言ってる場合ではありません。

そうして私の女子寮への入寮が決まったのです。

 

これが女子寮ですか?

 

そして春になり、女子寮入寮の日。

 

私の大学の地域の近くに住んでいる親戚のおじさんの車を出してもらい、おじさん 母 私で寮に向かいました。

寮に向かう前に、布団やフライパンなど必要最低限の物も購入しました。

 

そして地図や住所を確認して、近くまで行ったのですが、女子寮のような建物がありません。

あれ?おかしいな。このあたりなんだけどなあ〜と

2、3回行き来した後に、はっと気づきました。

「まさか、この建物??」

 

何度も通り過ぎてたオンボロの大きめの建物。

恐る恐る空いている門から入って近くに行くと、門には 女子寮の文字が…。

本当に廃墟のよう・・・。

昼間なのにズーーーンとお化け屋敷のような雰囲気が漂っています。

 

どう考えても廃墟ですが、正真正銘、私がこれから住む女子寮でした。

 

おじさんと母と私は言葉が出ませんでした。

どうみたって人が住んでいるとは思えない、廃墟です。

入ってみたら、人がちゃんといました、それも女子が、笑

 

一応オートロックがついており、セキュリティ面は整っていましたが、それにしても古くてボロい3階建ての廃墟。笑

私は3階の奥の部屋で、2年生の先輩と一緒とのこと。

 

部屋もなかなかのボロで、ベットは木製と畳でできており、机・棚・クローゼットは木製。

 

おじさんと母の手伝いで少なめの荷物を運び、そのまま叔父と母とはお別れ。

 

これは、つい最近知ったことですが、当時の母は、私の前では「サバイバルチックで楽しそうじゃない」といっていましたが、叔父の車で帰るときに「こんなところに置いていってしまい申し訳ない・・・」と思っていたようです。

 

私が親で娘が、あの女子寮に入るとなったら、全力で止めると思います。笑

 

そんなこんなで女子寮での生活が始まりました。

この続きはまた次回お話しします。

 

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